「寂聴九十七歳の遺言」書籍から読み解く、後悔しない生き方

寂聴九十七歳の歳の遺言 レビュー Kou’s特選!おすすめ本

人生とは、生きるとは?

たった一度の人生をどのような心構えで生きていくのが後悔のないものとなるのか。

本書には、そのヒントとなる実体験にともなった考え方が散りばめられています。

瀬戸内寂聴自身の人生をなぞるように語られるエピソードの数々は、私たちの生き方をみつめなおすきっかけともなります。

25歳で家族を残し家を飛び出した彼女の生き方の根っこにあるのは、「自分らしさ」を貫いて生きることです。

「自分らしさ」とは、飾ることなく本能のおもむくまま行動することを貫き生きる人の姿。

しかし多くの人は、常識と批判を恐れるあまり、その行動に制限をかけてしまいます。

結果、常識や世間体の壁を越えられずに、他人をうらやむ人生となります。

だからこそ、多くの人は「自分らしく」を実現できている人に憧れます。

やりたいことをやり、「自分らしさ」を貫くその姿にわが身を投影し、いつか自分もこうなりたいと。

では、どうしたら「自分らしく」生きられるのでしょうか。

本書からそのヒントとなる生き方を読み解きます。

瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)
1922年、徳島県生まれ。小説家、僧侶(天台宗権大僧正)。
著書/「夏の終わり」「美は乱調にあり」「花に問へ」「場所」「風景」「いのち」「源氏物語(現代語訳)」など。

レビュー「寂聴九十七歳の遺言」書籍から読み解く、後悔しない生き方

第1章レビュー 生きることは愛すること愛することは許すこと

人間が生きるとは、どういうことでしょうか。
この年まで生きてきて、はっきりいえるのは、それは「愛する」ことです。
誰かを愛する。
そのために人間は生きているのです。

寂聴97歳の遺言 第1章より

誰かを愛せていますか?

この世に生を受けると、親が愛します。

親の愛は「無償むしょうの愛」。

そして自分が親になったら、生まれてきた子に「無償の愛」を持って接する。

生きている人はみな、「無償の愛」を受けてきました。

しかし中には、「無償の愛」を受けられない境遇の人もあります。

抜苦与楽ばっくよらくという仏教用語があります。

他の生命に対して、楽をあたえ、苦をとり除くことの意。

どのような境遇でも、人を愛しすべてを許す。

人を愛することは、すべてを許すこと。

愛を受け、愛で返す。

愛を受けなくとも、愛を持って接する。

そんな思いのなかに、すべてを許す「慈悲じひ」という強さがあります。

慈悲の心をもって、命いっぱい人を愛していきたい。

第2章レビュー ひとりは淋しいか

ごはんを食べようと思ったら、いない。
突然雨が降ってきた時「降ってきたね」と言いたいのに、いない。
この間まで一緒にいた人がもうこの世にいないのだから、何をするにも孤独を感じてしまう。
それはこの上なく辛いことです。

寂聴97歳の遺言 第2章より

人間はもともと一人で生まれてきます。

そして死ぬときも一人。

そう考えると、人生に多くの出会いはあっても、人は孤独であるということに変わらない。

孤独であることが本質であるからゆえ、ともに寄り添い生きるのが人間なのでしょう。

親と、子と、伴侶と、友と、ともに笑い、泣き、口論したり・・・

ときに悩みの種となって現れるさまざまな出来事も、人生という長い目で眺めてみれば、良き思い出となって過ぎし日々を彩ります。

人生という長い航路での多くの人々との出会いは、孤独であるからこそのお互いの存在価値を認めあっているのでしょう。

一期一会いちごいちえという言葉をあらためて大切にしたい。

いつか受け入れざるを得ない孤独があるならば、ひとつひとつの出会いを大切にしたい。

出会いひとつひとつを愛していきたい。

第3章レビュー 「変わる」から生きられる

私たちの周囲に起こるあらゆること、いいことも悪いことも、みんな動いていく。
どんどん動いていく、そして変わっていきます。
「すべてのものは移り変わる」がお釈迦さまの教えの根本です。

寂聴97歳の遺言 第3章より

いいことがあると喜び。

悪いことがあると悲しみ。

本来、できごとの良し悪しには意味はなく、ただ目の前に現れた現象にすぎません。

私たちは、いいことがあると、これが永遠に続けと思います。

そして、悪いことがあると、はやく終われと思います。

そのできごとにどう感じ、どう対処し、明日へ活かしていくか。

人によってその考えも行動もちがうけれど、できごとの本質は同じ。

諸行無常しょぎょうむじょうという言葉があります。

この世のもの万物すべては、おなじ場所にとどまることはなく、常に変化します。

いいことも悪いことも、終わります。

どちらもいずれ、かならず変化します。

喜びも、悲しみも、人の持つ「忘却ぼうきゃく」という能力をもって、過ぎしこととなります。

だからこそ人は、前を向いて生きていけるのでしょう。

第4章レビュー 今この時を切に生きる

人生は変化に翻弄されるばかりで、全く思いどうりにならないのでしょうか。
そんなことはありません。
よい方向であれ悪い方向であれ、変わるからこそ、自分の考え方や行動によって自分の人生の行く手を変えていくことが出来るのです。

寂聴97歳の遺言 第4章より

因果いんがという言葉があります。

いまある状況や環境は、過去の自分の選択の結果として存在しています。

良いできごとも悪いできごとも、自らが過去にした選択による結果として現れています。

ならば、良いことをすれば良いことが起きるのか。

悪いことをすれば悪いことが起きるのか。

仮にそうなったとしても、良いできごとも、悪いできごとも、時とともに変化します。

良かったことが悪くなり、悪かったことが良くなる。

これが人の世の常とするなら、結果など気にせずやりたいことをして生きるべきではないか。

もちろん法に触れるようなことはもってのほかですが、結果、批判や中傷を受けることになるかもしれないけれど、やりたいことをして生きる人生に後悔はないはず。

「やりたいことをして生きる」

とってもワクワクしてきます。

第5章レビュー 死ぬ喜び

いつ死ぬかもわからないし、死がどういうものか、死んだ後にどうなるのか誰にもわからない。
一度死んで、またこの世に戻ってきた人は一人もいません。
とにかく誰にもわからない。
それなら、死についても楽しく考えた方がいい。

寂聴97歳の遺言 第5章より

すべてのものは常に生まれては変化し、くりかえし止まることなく移り変わっていきます。

生生流転」せいせいるてん

かたちあるものすべてにおいて例外はなく、生生流転をくりかえすのが自然の摂理。

死んだら、あの世があるのかないのか。

死んだら、会いたい人に会えるのか会えないのか。

それは実際に死んでみないとわからない。

死ぬのは怖いと、誰もが思います。

それは、死んだ後どうなるかわからないから。

あの世へ行ってなつかしい人たちに会えるという説。

なにもなくなって、自然に帰るという説。

諸説あるけれど、いくら考えたってわからない。

自分の心がいちばん落ち着く説を採用したらいい。

みんな、いずれ順番に歳をとって死んでいくのはまぎれもない事実。

だったら、いま生きている事実を大切にしたい。

死ぬときに、「最高の人生をありがとう」といえる死に際をむかえたい。

そのように考えると、いまこの瞬間をどのように生きるかに向かい合わざるをえない。

悩んだり迷ったりする時間は最小限にして・・・

レビュー&まとめ 本書を読み終えて

なにか行動を起こそうとするときに足かせとなるのは、「常識や世間体」です。

しかし本当にやりたいことをやって生きている人には、それらは関係ありません。

昨今、「自分らしく」というワードが多用されていますが、「自分らしく」の本質を理解し、実際に行動できている人はどのくらいいるのでしょう。

文面からは、寂聴さんの生き方には制限など皆無のように感じます。

赤裸々に綴られる人生エピソードにも、飾りっけすらありません。

ちょっと気恥ずかしくなるような言葉や単語なども遠慮なく多用されていて、寂聴さん自身の考え方や生き方そのものと感じさせてくれます。

多くの人に愛され慕われるのも、その飾らないおちゃめな感性や、ストレートなもの言いに「はっ」と気づかされ、つらい悲しみから救われているのだからかもしれません。

kou
kou

100年近い人生経験にもとづいた言葉ひとつひとつには、どっしりとした重みがあり、それでいて悩みなど「ふぅっ」と吹き消すような軽やかさを感じます。

バニ
バニ

読み終わった後は、「まだまだ若いのになにグズグズしてんの!」なんて、お叱りを受けた気分になるよ!

バニ
バニ

元気が出ずにいられない!

kou
kou

寂聴さん!ありがとう!

コメント

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