幸せになる勇気 自己啓発の源流 アドラーの教えⅡ 書籍レビュー

幸せになる勇気kou'sレビュー Kou’s特選!おすすめ本
著者/岸見一郎 古賀史健  発行所/ダイアモンド社

「幸せになる勇気」とは?

kou
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前作「嫌われる勇気」の続編となる作品の紹介です。
アドラーの思想に感化され、実社会で実践に努めた青年は、思想を広めることの難しさと矛盾点に悩み、再び哲学者の下を訪れます。

バニ
バニ

前作で、すぐには理解できなくても、青年はアドラーの思想に感化され、受け入れたんだよね?
哲学者の書斎を訪れたってことは、これはまた議論の予感が・・・

kou
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そう、今作の青年も前作と同じく、哲学者に疑問をぶつけます。
「実際にアドラーの思想を現代社会の中で実践したら・・・」
が今回のテーマとなっています。

今作は実践に基づいたアドラーの思想に対する疑念や、青年の中で見えてきた矛盾点を哲学者にぶつけることで、改めてアドラー心理学の復習理論といっても良いでしょう。

バニ
バニ

?????
難しいことはさておき、青年と哲学者の討論バトルをまた読めるのは、とってもワクワクします!

kou
kou

そうだね、今作もこの討論形式で進みますし、時折ムキになって哲学者に食って掛かる青年の描写なども読みどころですよね。

バニ
バニ

前作を読んだ人はもちろんでしょうが、おすすめするのはどんな人でしょうか?

kou
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「全ての悩みは人間関係にある」というアドラーの思想をもとに、仕事、家庭、学校など、多くの悩みを抱える人におすすめします。
「嫌われる勇気」から「幸せになる勇気」へ語り渡される「アドラー心理学」を更に深く切り込む本書を是非読んでみてはいかがでしょうか?
「幸せになる勇気」とは?
アドラーが人類未来へ残したかったものとは・・・・

「すべての悩みは人間関係の悩みである」

「嫌われる勇気」から3年の歳月が流れました。
かつて哲学者と激しい議論を重ねた青年が再び哲学者の書斎を訪れ、アドラー心理学をテーマに、深い議論を展開します。
前作「嫌われる勇気」の中で哲学者との議論を交えた結果、青年はアドラー心理学に感化され、実際に自身の教育者としての仕事の中で自分なりに実践してきました。
しかしアドラーの心理学の理想とはおおよそかけ離れた結果を突き付けられ、その矛盾点に打ちひしがれ悩んでいました。
そしてこの体験から、今回はそうしたアドラー心理学の矛盾点を突くことで、哲学者もろとも心理学を打ち砕き、心理学を自らの手から捨て去ろうと勇み、哲学者の書斎へと再び戻ってきたのです。

アドラー心理学とは一体何なのか?

青年はアドラーの思想に対して実社会での体験をもとに、アドラー心理学は哲学であり、哲学とは科学であるはずで、しかしアドラーの思想は非常に抽象的であり宗教ではないのか?との疑問を展開します。
アドラーの思想を実社会で実践しようとすると、広められるどころか驚くほどの反発に会っていました。
青年は大航海時代、異教の地で様々な弾圧に会いながらも布教を試みた宣教師になぞらえ、アドラーの哲学は結局のところ拒絶されるのも至極当然な異教な宗教ではないのかと・・・。
しかし哲学者は、あくまで哲学とは歩み求め続けるもの、生きる「態度」であり、神の名の下、託された教え「すべて」を語る宗教とは相容れない考え方であると論じます。

教育下でのアドラー心理学

青年は「あなたは他者の期待を満たすために生きているのではない」「他者もあなたの期待を満たすために生きているのではない」というアドラーの思想の下、他者に介入せず、介入させず、評価や承認をも求めず、常に自らの信じる最良の道を選択するアドラーの思想は、他者に介入する「教育」という場面では大きな矛盾が生ずるのではないのか?との持論を哲学者にぶつけます。
哲学者は、アドラー心理学にとっての教育はカウンセリングであり、アドラー心理学でのカウンセリングとは「再教育」を意味し、目標とするところは青年の対象である生徒達の「自立」であると論じます。

生徒達の自立を阻むものとは何か?

青年は、自らの保身のため現在の状況にあり、本当のところは生徒たちに自立され対等な立場に立ってしまったら「縦の関係」を築き、維持し、自分の支配下に置いておくことで教育者、責任者としての責任を回避することが出来なくなるのが怖いのだと哲学者に指摘されます。
哲学者はカウンセリング(教育)する立場にあるリーダーは常に「自立」という目標を掲げておかなければならないと告げます。
教育者のあるべき姿として、生徒達が出た成果を自らの力で成し遂げたと感じさせる「自立」までを導くため、持てる知識や経験などを惜しみなく提供することで、他者に対する「貢献感」を持ち、その中に幸せを見出し、共同体感覚を共有することであると哲学者は論じます。

競争原理から協力原理へ

「ほめてはならない」「叱ってはなららい」

「ほめるられること」や「叱られないこと」を目的とする依存心のある人々が集まるといかにしてリーダーの寵愛を独占できるかという褒賞をめざした「競争原理」に支配され、強さや順位を競い合う「縦の関係」が生まれ、それに伴う駆け引きや不正、嫉妬や劣等感に苦しめられていきます。
アドラーの考えでは、競争するのではなく、他者との協力を第一に考える「協力原理」に基づく共同体を推奨提言しています。
人間はもともと一人では生きていけない「不完全な弱い存在」であり、「不完全で弱い存在」であるがゆえ、古の狩猟採集時代より集団を形成し協力して獲物を狩り、子供達を育て社会を構築してきました。
もともと全ての人にはこうした共同体感覚が内在し、人間のアイデンティティと深く結びついており、己の内から掘り起こし、感覚として共有することができると哲学者は論じます。

すべての喜びもまた、対人関係の喜びである

「すべての悩みは人間関係の悩みである」という言葉の背後には、「すべての喜びもまた対人関係の喜びである」という幸福の定義が隠されています。
教育とは交友であり、「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じる」ことを実践する中で「人間知」を学び、共同体感覚を掘り起こしていくこと。

人間は一人では生きていけず、各々の身体的劣等性を補償するための生存戦略として共同体の中での「分業」という考えに辿り着きます。
アドラーは労働そのものを「善」と規定していないものの、我々は働き、協力し、貢献すべきで、他者と「分業」するためにはその人のことを信じなければならない「信用」の関係を築かざるを得ない人生のタスクが必要であると説きます。

「分業」の根源にあるものは人間の「利己心」で、各々の持つ得意分野を受け持ち、「分業」することで、合理的で、誰一人として自分を犠牲にしない「利他」につなげる考え方です。
まず、仕事の関係に踏み出し、他者や社会と利害で結ばれ、利己心を追求した先に「他者貢献」があると哲学者は論じます。

与えよ、さらば与えられん

「まずは家に帰って、家族を大切にしてあげてください。」

マザー・テレサが、「世界平和のために我々は何をすべきか?」という問いに答えた言葉で、アドラーは「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることもなく。」と説いています。

他者からの尊敬を待つのではなく、自らが尊敬を寄せ、信頼を寄せなければならない。心の貧しい人間になってはいけない。
これらの考え方は「仕事」「交友」に続くもう一つの対人関係としての「愛」に集約していき、哲学者は、アドラーを理解するには、「愛」という階段に踏み出すことで得られると語ります。

愛する人生を選べ

アドラーの語る「愛」とは「他者から愛される技術」ではなく、「他者を愛する技術」であり、「二人で成し遂げる課題」で、「私たちの幸せ」を築き上げることこそが「愛」であると説明しています。

「愛」を知り、「わたし」や「あなた」よりも上位のものとして「わたしたち」の二人が幸せでなければ意味がなく、利己心でもなく利他心でもないまったく新しい指針の下に生きることで、人生の主語が「わたし」から「わたしたち」に変わり、二人から始まった「わたしたち」がやがて共同体全体に、そして人類全体にその範囲を広げていくことこそが共同体感覚で、アドラーの愛を実践する上での考え方であり、「幸せになる勇気」であると。

「愛」とは決断であり、その先にある「運命」こそは自らの手でつくり上げるもので、ただひたすらに目の前のパートナーと「いま」を踊り、ダンスすることに例え、「愛」という信念の行為をもって他者を愛することによってのみ自立を成し、「わたし」という自己中心性から解放されたとき、共同体感覚に辿り着き、人類の全てを包括した「わたしたち」を実感できるのだと。

世界はシンプルであり、人生もまた同じである」が、「シンプルであり続ける」ことは難しく、「何でもない日々」が試練となります。
アドラーに同意し、受け入れるだけでは人生は変わらず、「最初の一歩」を踏み出し、歩み続ける勇気こそが「幸せになる勇気」であると。

本書を読み終えて バニ&kou’s書評
バニ
バニ

読みごたえがあったよ!
前作から今作を読み終えて思うことは、アドラー心理学とは、ひとつの「生き方」なのではないかと思いました。

常に自分の生き方は自分で選択できるということ、競争原理の中でいきるのか、協力原理の中で生きるのかでさえ自分で選択し生きていけるし、すでにわたしたちは選択し生きているのだということですね。

kou
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アドラーの思想の根底にある「愛」を実践した時、人と人との協力原理の中で生きることができ、その共同体感覚をさらに大きな人類へと広げていける可能性の中に生きることもできると解釈しました。

kou
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アドラーの思想を理解するには、一朝一夕とはいかないほど奥深く、常に行動、歩み続けることこそに鍵があるように思います。
「愛」を実践するために「一歩を踏み出し、歩み続ける」ことこそが、「幸せになる勇気」なのでしょう。

「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることもなく。」(本文より)

幸せになる勇気kou'sレビュー

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