続・道をひらく The path 松下幸之助 書籍レビュー

続・道をひらく 松下幸之助 kou'sレビュー Kou’s特選!おすすめ本

著者/松下幸之助 発行者/江口克彦 発行所/PHP研究所

道は必ずある

前著「道をひらく」の続編となる本書では、松下幸之助氏の日本と日本人の将来に対する考え方や思いを、四季折々一年の時の流れに重ねながら、粛々と記述されています。
四季折々に表現される松下幸之助氏による様々の思いは、時代を問わず、混沌たる現代社会を生きる私たちにとっても、心豊かに生きる上でのヒントとなるものでしょう。
以下に、特に印象に残った編を、紹介させて頂きます。

さくら

さくらのつぼみが日に日にふくらんでいる。
長く寒い冬を、小枝にしがみつくようにして耐えつづけてきたのが、きょうのこのごろはふっくらと色づいて、花ひらく日の喜びを春風に託している。
桜花らんまんを待って浮かれるのもよいけれど、色づくつぼみを仰いで、その耐えてきた日々をそっとねぎらうのも、また人間らしい思いやりであろう。
人の歩みの花ひらくのも長く辛い忍耐の末にあるのかも知れない。
だからこそ、耐えぬいた人生の開花を見るとき、人は惜しみなく賞賛をおくる。
しかし、未だ花ひらかず、じっと人の世の寒風にたえているささやかな歩みに対しても心をこめたいたわりとはげましを与え合うのも、人間だけができる思いやりの世界であろうが、人の心が乱れてくると、耐えることを忘れ、讃えることを忘れ、いたわりやはげましの思いやりも忘れがちにななり、人の世の乱れはさらに増す。
せっかくのこの季節、さくらのつぼみを仰いで、しばしわが心を省みたい。

kou
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桜の花は一年に一度しか見ることができず、しかもその最も美しい満開期間はとても短く貴重であり、人は皆、そういった美しくもはかないものに慈しみを感じ、より大切に扱おうとするものではないでしょうか。
それは人の営みにおいても同じく、努力の末、勝ち取った成果や、成功を夢見て邁進する姿にも、大いに励ましや賛辞を贈ったりするなど、人間としての温かみの感じられるところでもあります。
しかし、社会動向や経済状況など、様々な不安要素などにより、心の余裕が失われると、人はお互いを傷つけ合うような危うさも併せて持ち合わせているのだと思います。
このことを改めて認識し、思いやりや慈しみの心を見失うことのないように、常に謙虚な気持ちで自然を愛でる、心の余裕を持っていたいと考えます。

降らば降れ、吹かば吹け。

降らば降れ、吹かば吹け。
降るときは雨にぬれ、吹くときは風にそよぐ。しかしその根は、しっかりと大地に張っている。ささやかな根であっても、大地にしっかり張っている。

降らば降れ、吹かば吹け。
雨も風もいつかはやむ。やめばまた頭をもたげる。
雨に洗われ風に磨かれて、花はあくまでも白く、その葉はあくまでも緑に、また毅然として咲き誇るであろう。

降らば降れ、吹かば吹け。自然とともに生きる花よ小鳥よ。
人間もまたやがて狂奔の日々をかえりみて、自然とともに歩む道を探し求めるであろう。

kou
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自然の営みは、素直であると言ってよいでしょう。
そこには計算などなく、風が吹けば揺らぎ、雨が降れば受け入れる素直さがあり、その全てを受け入れるために、しっかりと根を張り、全てを受け入れる強さとしなやかさがあります。
植物たちのしなやかさ、動物たちの強さ、人間もまた、そういった自然の営みの中に、大いに参考にすべき生き方があるのではないでしょうか。
常に謙虚な姿勢で、自然の営みから素直さを学び続けたい。

夏。汗が流れる。身体を横にしても、なおやり切れないほどのこのだるさ。
暑い。その暑さに耐えて、一日の働きが終わる。困難な仕事で、緊張の連続ではあったけれど、ともかくもやり通して、一風呂浴びるこの爽快さ。
われとわが頭を撫で、わが身わが心根をいとおしみたいようなこの喜び、この生き甲斐。
夏は、耐えることのなかから、真の生き甲斐というものが生まれ出てくることを、身をもって教えられる季節でもある。
ゆたかな日本の四季の、ゆたかな夏のこの味わいである。

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誰しも、仕事でも何でも、楽な道を求めたいのではないでしょうか。
反面、一生懸命、額に汗かいた経験の先に、妙な達成感があるのも事実なのではないでしょうか。
お酒が普段の何倍にも美味しく感じられたり、熱い湯船につかった時の安堵感は、厳しい仕事をやりきった後にこそ体感できるご褒美のようなものと言えます。
そういった一見すると、なるべく避けて通りたい道でも、一生懸命汗かき歩む過程の中にこそ、生き甲斐というものがあるのだと考えます。

自然の声

秋の夜。床に入って静かに眼をつむる。とりとめもなき想いが、あらわれては消え、消えてはあらわれる。月に流れゆく雲のような想い。
起き上がって窓をあければ、ヒヤリとした大気のなかに、秋の夜の月。
思うこともなくその月を仰いでいると、虫の声とともに、月光の声もきこえてくるようだ。
自然はささやいている。語りかけている。しかしわが想いにとらわれているときには、この声は耳に入らぬ。
心を静めよ。とらわれを捨て切れ。そして耳をすまそう。何も考えずに耳をすまそう。そのとき、自然の声がわが心につたわってくる。
狂乱の巷のあゆみをしばしとどめて、秋の夜に身をゆだねてみたい。心をゆだねてみたい。

kou
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秋の夜長といいますが、ふと耳をすますと風の音や虫たちの声が聞こえてきます。
様々に悩み事を抱え過ぎていたりして心に余裕が無くなると、自然の音など風情あるものへの感性も鈍ってきて、自分を客観的に見つめなおすことなどもできなくなってくるでしょう。
常に心に余裕を持つことで、自分を俯瞰して見ることが可能となり、様々な悩みにも最適な対処がしていけるのだと考えます。
秋の夜長には俗世を忘れ、ふと自然の音を聞く心の余裕を持っていたい。

どこかで

どこかで鶏が鳴いている。
空は暗く、大地も深い闇に閉ざされて、まだどこにも明るさは感じられないのに、耳をすませばどこかで鶏が鳴いている。

どこかで鶏が鳴いている。先ほどまでは、遠くのかすかな鳴き声であったのに、いつのまにか思わぬ近くでも鳴き出した。樹々も街々もまだ暗いけれど、今までの漆黒の空が深い紫色に変わってきている。朝は遠くないのである。

めざめなければならないのである。鶏鳴に耳をすませつつ、くらやみの大地から空を見上げて、新たなる働きへの準備を急がなければならない。
世界も日本もまだ暗い。底なしの暗闇のようにも思える。
だがしかし、どこかで鶏鳴が聞こえるはずである。耳をすませたい。心をしずめたい。

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「いつかは夜は明ける」という言葉があります。
状況を変えるには、時を待つということも大切ですが、やはり能動的な行動も必要なのでしょう。
夜が朝になるのも、地球が自転しているという地球の行動があってこそで、状況を変えていくには、機を見て自身で行動を起こし、好機のタイミングを逃さないことでしょう。
一見、暗闇の中という状況にあっても、常に心落ち着け、集中することで解決の糸口や、突破口も見えてくるのではないでしょうか。
絶好のタイミングの合図を逃さないよう、しっかりと暗闇に目を凝らし、静かに耳をすませよう。

本書を読み終えて kou’sレビュー

仕事・家族・コミュニティなど、生きる上では望むとも望まざるともに関係なく、関わり合うことになる人と人との営みの中で、大いに参考となり得る数々の松下幸之助氏の詩編は、読み手の性格やこれまでの生き方によって受け方は様々になり得ましょう。
そこから個々の読み手がこれまでの生き方を振り返り、それぞれに咀嚼しこれから生きる上での指針とするならば、非常に力強く頼もしい力添えとなるものと考えます。

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複雑かつ、混沌でありながらも、非常にスピード感あふれ目まぐるしく移り変わる現代社会を、力強くもしなやかに生きていくための指南書として、それぞれに役立てて頂きたいと願います。
最後までお読みいただきありがとうございました。

続・道をひらく 松下幸之助 kou'sレビュー
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